クラシカルマッチ!歴史的名試合。サッカー界の移り変わりをプレイバックする新企画、フットボール史の激闘をお届けします!
第一弾はマジックマジャール。ポジションチェンジを多用し、後のフットボール世界の大きな戦術の転換点となった彼らの激闘をご紹介します!
四年間無敗を続けたハンガリー代表が挑むのは54年ワールドカップ。無敗記録継続となるか!?要注目のマッチです!
54年W杯決勝 ハンガリーvs西ドイツ
主役はマジックマジャール無敗のハンガリー
他を圧倒するハンガリー代表
この当時の主役であったのはハンガリー代表。現代風に言うと3-2-5(上から見ると攻撃的ポジションがW、守備的ポジションがMの陣形)が主であった時代です。その頃、一際異様なサッカーを展開していたのがハンガリー代表!
彼らは類稀なサッカーIQの高さを生かし、同じくWMシステムの中でポジションチェンジ。前線の陣形を変える試みに着手しました。w文字の下部2点に位置する選手が飛び出し、攻撃的ポジションがMの形となります。マンマークが主であった時代でこの動きは他チームは大混乱するのに十分なインパクトです。
無理もないです。マークにしっかりついていったら陣形はぐちゃぐちゃに。対時していたディフェンス、指揮官はカイジのようにグニャ〜となったことは想像できますね(笑)
一試合辺りの平均得点が4と驚異的な数字を叩き出しており、1950年から無敗を続けました。多種多様な国々に大きなショックを、時にはそのアーティスティックな芸術的戦いに相手サポーターが拍手を送るほどでした。
西ドイツが仕掛けた罠
準備万端な西ドイツ満身創痍のハンガリー
そんな無敵のハンガリーに挑むのは西ドイツ。一次リーグでぶつかりましたがら最初から決勝進出を考えていたような戦術、戦略を考案しました。
その作戦こそ。俗に言う「俺まだ本気だしてないから」作戦。一次リーグのハンガリー戦を捨てるというもの。結果、大敗しましたが、ハンガリーの要であったプスカシュ選手の怪我など、偶然の産物も味方につけたのです。
その後、決勝トーナメントに進出すると比較的楽な試合が続きます。一方のハンガリーは当時から強豪であったブラジルと激戦。退場者を出すほどの戦いに降雨による疲労で満身創痍のまま決勝まで上がってきます。
勝機は雨に!
西ドイツはこの状況下にありながらも、まだ実力的に不利。普通に戦っても勝てません。当時の監督は「雨が降れば勝てる」と勝機を見出していました。
そこまで降雨を求めたのには、西ドイツの秘密兵器。靴職人のアドルフ・ダスラー(アディダス創業者)がピッチ状況に合わせてスパイクを変えれる交換式のスパイクの供給もあったのです。
結果は一目瞭然でした。ぬかるんだピッチでもリードをするハンガリー代表。しかし、徐々に疲労が溜まり転倒が続出。一方の西ドイツはしっかりとした足取りで追い上げ、3-2で勝利を飾ったのです。
世紀の大番狂わせ。しかし、最後までハンガリー代表は紳士的で初優勝を飾った西ドイツを讃えました。その戦いぶりから、次回のワールドカップを楽しみにするファンも多かったことでしょう。
しかし、マジックマジャールと称された世界最強のハンガリー代表は二度と世界の舞台に戻ってくることはなかったのです。。
時代を席巻したハンガリー代表の最後とは……
運命の日1956年10月23日。。
ワールドカップ準優勝後も選手層の厚さや選手個々の能力の高さで圧倒的な勝率を誇ったハンガリー代表。
その終わりは唐突なものでした。1956年10月23日。ハンガリー動乱の始まりです。当時、遠征中であった選手たちは散り散りに亡命。
選手によっては動乱の中、足が無くなるものもいたようです。政治によって終焉を迎えました。その後も1960年代に五輪で金メダルを獲得するなど、世界の舞台で活躍しましたが、マジックマジャールと称された圧倒的な強さを失ったのです。
受け継がれるDNA
他国に亡命した選手の中で一際輝いたのはプスカシュでした。彼はレアルマドリードに移籍し活躍。世界最優秀選手賞は取れなかったものの、フットボール界への貢献が認められました。
年間を通じたベストゴールに送られる個人賞はプスカシュ賞と名付けられたほどです。偉大な選手の一人として今なお色あせることなく、名前と足跡を残したのです。
2019年のプスカシュ賞は世界最高の選手と讃えられるリオネル・メッシでも、クリスティアーノ・ロナウドでもなく。当時18歳のハンガリー人FWダニエル・ゾリ選手が受賞したのです。
今後、ハンガリーが世界で活躍した時には、マジックマジャール。世界最強のナショナルチームの話を思い出してほしいです。
世界最強のナショナルチーム。その最後は政治によるものでした。サッカー史に燦然と輝く彼らの活躍は何者にも奪うことはできませんね!
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